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5月茶道 伊勢物語九段 東下り 歌に隠された暗号


Miwakoのセラピールームはロンドンを拠点とし、前世過去世療法、高速感情解放稲垣メソード(エモーションフリー)、直傳霊気などのセッション&講座をやっています。また、お仕事疲れのお父様、お子さまの勉強や心のサポート、子育て・人間関係、感情や環境に振り回され苦しんだり悩む女性やお母様方の心身を楽にし気づきをもって前に一歩進めるお手伝いもしています。

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茶道の好きなところは、四季を感じ、またいろんな分野にわたって茶道がつながっているところです。

墨蹟、表装、お花、陶磁器、金属・鉄細工品、竹細工・木工芸品、漆器、建築、造園、料理、織物、・・・etc

そして文学ともつながっています。

だからいろんな方面に興味が尽きないのです(^.^)

そういう中で、茶道では季節や趣向に合わせて道具の取り合わせが行われます。

私も日本で習っていたころ先生のお宅にお稽古に行くときに、月が替わったり季節変わるたびに、またお茶会のたびに、今度はどんな趣向にしてるかな、どのような形で季節をあらわしているのかな、とその変化を楽しみにしていました。

そんな時、文学でも、書でも、花でも、いろんなことを豆知識として知っておくと更に飾られている、出されるものの意味が自然と見えてきてそれが面白かったりもするんですね。

まさにいろんなところに暗号がちりばめられている感じです。

私は、カキツバタや菖蒲の咲く時期、ちょうどこの5月ごろになると、この伊勢物語の9段東くだりの場面をいつも思い出します。

古典の世界でも有名な場面の一つだと思います。お茶の世界でも、この場面の中をテーマ、茶会の趣向として扱われることもあります。

「身を要なきものに思ひなし」た男の傷心の旅の話です。

原文   ***************

昔、男ありけり。その男、身を要えうなきものに思ひなして、京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めにとてゆきけり。

もとより友とする人、ひとりふたりしていきけり。道知れる人もなくて、まどひいきけり。三河の国、八橋といふ所に至りぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ八橋といひける。

その沢のほとりの木の陰におりゐて、乾飯食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、

「かきつばたといふ五文字を句の上にすゑて、旅の心をよめ」と言ひければ、よめる。

唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ

とよめりければ、みな人、乾飯の上に涙落として、ほとびにけり。

訳    *******************

むかし、ある男がいた。その男は、自分の身を、世の役に立たないものだと思って、京の都ではなく、東の方へと住むべき国を求めに行こうと思って、行った。以前から友人としていた人物ひとりふたりを連れて行った。道を知っている人もおらず、迷いながら進んだ。

 さて、三河の国(愛知県近辺)の八橋というところにたどり着いた。そこを八橋と呼ぶのは、水の流れる川が蜘蛛の手のよう(に分かれている)なので、橋を八つ渡したということで、八橋といったのである。その川辺の木陰へと降りていって、干した米を食べた。その川辺にはカキツバタがとても趣のある感じで咲いていた。それを見て、ある人が言った。

「『か き つ ば た』という五文字を、各句の頭において、旅の心を一首よんでみてくれ」

そう言われたので、詠んだ。

唐衣のように慣れ親しんだ妻は都にいるので、

遠く離れて来てしまった旅をしてしまったのだなあ。

と詠んだところ、みな、干した米の上に涙を落して、すっかりふやけてしまった。

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「『か き つ ば た』という五文字を、各句の頭において、旅の心を一首よんでみてくれ」といわれ読んだのが下の歌。

「唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」

この歌をすべてひらがなにして句ごとにスペースをあけて書いてみます。

「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」

これを各句ごとに並べて書いてみると

らころも

つつなれにし

ましあれば

るばるきぬる

びをしぞおもふ

「かきつはた」=「かきつばた」(音の清濁は区別しません)が読み込まれたいました。

これは折句というもので、歌を詠むときに与えられた5つの音節を各句の初めに置いて読み込むものです。

と難しく書いていますが、実は小学生のころから折句という言葉は使わなくても勉強しています。小学生の低学年の頃から、「あいうえお」や「あかさたな」をつかって文を作ったり、中学年ではやはり言葉遊びとして、「言葉を一音ずつ行の初めに置いて作った詩」という表現ででてきます。

とても面白いと思うので、このカキツバタの時期になって八つ橋やお花や絵など見る機会があったらこんな古典のお話もちょっと親子の会話に入れてもらって、そこからこういう言葉遊び、折句についても話したり、一緒に考えてみるのも勉強を楽しくやる一つの方法だと思います。

茶道の話を書こうと思ったのに、お勉強の話になってしまいましたが(笑)、こうやって親子で楽しく国語を勉強できるきっかけもいろんなところであります。

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