Miwakoのセラピールームはロンドンを拠点とし、子育ての応援、お子さまから年配の方まで様々な年代のかたのお悩みを聞きながら、ホリスティックな考えや様々な視点、セッションを通して心身共に楽に生き易く自分らしく人生を歩んでいけるように、前に一歩進めるお手伝いをしています。前世過去世・催眠退行療法、高速感情解放、直傳霊気、そのほかのヒーリング、自分軸づくり、リラクゼーション等などのセッション&講座もやっています。
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前話で書いた「女領主の過去世と今世の私1(父親編)」、
「女領主の過去世と今世の私4(寺での不思議な感覚、体験)」の続きです。
こうやって「女領主の過去世と今世の私1~5」で私の不思議な体験を書いています。そうやって気づいていくにしたがって、そこには、今まで悩んでいたのが嘘のように親子関係が変化した私がいます。だから、こうやって書こうと思う自分もいるのかもしれません。
子供の頃からの腑に落ちない親子関係、自分自身でいろんな角度視点から両親を見つめて考えてきたけれど、どうしても最後の核になる部分に疑問が残る。。。それ以外にも身近なところで対処しないといけない出来事で心身ともに限界にきている私がいました・・・そんなころ精神世界やセラピーの世界に触れ始め、たくさんの気づきや変化が少しずつ起こり始め・・・。
2010年ころには、初めて霊気や前世療法などとも出会い、そのほかのセラピーや書籍や貴重な人との出会いも続きました。
そうしたある日、いいタイミングで2012年にセッションを通してどうしても疑問だった核心部分に自分が納得できる形で最終部分の糸口が見えました。いろんな面白いリンクからさらに気づきもましてきました。もちろん不思議ね~と思うような出来事もあったり・・・。そんな中一つ一つ心にストンと落としながら納得して、そして行動すると、少しずつ変化していきました。
そうやって両親のことで、あれほど私にとって苦しく大きな問題で実家で心地よく過ごすことができなかったのに、変わった、変化した、と思えたのがそれから数年後の、2014年の年末でした。
めったに一時帰国することもないので、いつもこういう機会に自分がこちらでどれだけ気持ちが変化してきたか、卒業試験のような気持ちで日本へもどっていました。
この2014年年末は父の体調の関係で私一人、短期だけれど一時帰国しました。
パパさんの仕事は忙しい時期でしかも息子の学校はまだあるし、私の仕事もあるため悩みましたが、やはり今のタイミングでないと・・・と職場にも急きょお願いしての一時帰国となりました。
不思議なことに、この時、私の心が素直に日本へ、父へ母へと向いたからです。きっとこれも、今までの各セッションのおかげで、私の思い込みの感情や余計な思いもかなりなくなっていたのかもしれません。
この出来事は、私にとって意味のある忘れられない出来事になりました。
今まで結婚してから、私が一人家族を離れて1週間以上も帰省をしたのも初めて。また、私が一人で、両親と1週間以上も3人で過ごしたこともこれは独身の時からしても初めてだったかもしれません。しかも、おだやかな気持ちで。
この一時帰国で、息子の成長も感じました。日本が大好きな息子なので、冬休みであれば一緒に帰国したに違いないのですが、時期が時期だけにお留守番。朝7時のバスに乗って毎朝学校へ通い、帰りも5時半前後。その息子が、年末仕事がかなり忙しくなっているパパさんと二人で、協力し合ってこの期間を過ごしてくれました。
ちょっとここで話が少しそれますが、すべてはつながっているんだと感じたことを一つ。こうやって息子とパパさん二人で私抜きで生活するのは初めての事でした。でも、やってみると意外と大丈夫だったと・・。
私も一安心でそれがきっかけでぐんと息子からもパパさんからも(笑)徐々に手が離れた気がします。それから1年もたたずに私の癌がわかり、その後入院、手術・・・となったわけですが、その時も息子とパパさん2人での生活、退院後も私は居ても動けずでしたので、、この私一人の一時帰国のことで息子とパパさんが2人で過ごしお互い協力し合ったタイミングが、なんだかこの偶然にも先に控える私の手術を考えるとつながっていたのでは・・・とつい思ってしまいます。
では、話は戻り、
父は、そのころ手術をしたのですが術後の経過が悪く、再度手術へ。
私もこの2年ほどの間に2度ほど手術をし、全身麻酔のきつさもわかっているので、その時の父も身体はきつかったのではと思います。
このようになる前は、頑強な体と体力の持ち主でした。一時期は腸の外にソフトボール大の腫瘍もでき最悪は・・・と言われたときもあしましたが、そこから復活し、50代のころにも30代の体力の持ち主とお医者から言われたくらいの元気者で、ジョギングに腹筋、背筋などやったりダンベル持ち上げたり・・・とそれがかえって私のような子供のころよく熱発する子の気持ちはわからず具合が悪くなると怒られる、怒鳴られる・・・なんてこともあり昔は困ったこともあったのですが・・・(笑)
ですから、「俺は誰の手も借りんで生きていけるんじゃ~」といつも豪語してました。
しかし術後はしばらくの間、体力がそれほどない気力だけで生きているような母の助けがないと普段の生活ができなくなってしまいました。
これは父にとってはかなりのショックだっただろうことが、帰省をして感じられました。
この滞在中、駅で母に久しぶり会ったとき、そのあと直接病院へ行き父と面会したとき、不思議な感覚を味わいました。
二人ともとびきりの笑顔で私を迎えてくれたんです。
その後、私の滞在中にお医者さんに無理を言って退院手続きをして父が自宅に戻ってきて、ほんの少し3人の生活が始まりました。
信じられないくらい、自然に笑顔が出る私がいて、親子3人ほんとに笑顔がたえませんでした。私の言葉にも素直に耳を傾けてくれました。妹が1日戻ってきたとき、父が私の名前を笑顔で呼ぶ様子を見て、生まれて初めて見たと驚いたくらい和やかな雰囲気でした。
本来親子ってこんなものなのかな、と40歳を過ぎて初めて味わいました。
小さいころからの家族との生活が私の心の傷の深い一つになっていたけれど気づいて変化していったら、徐々に心の解放がはじまり、それが私のきょうだいや両親の変化へと徐々になっていたことも、以前のブログには自身の体験談で書いています。それがこのセラピーの仕事をするきっかけともなっていますが。
そして、この滞在中、突然と母が今までのことを謝ってくれたのです。
あの過去世から引き継いいで持ってきた私への魂レベルでのメッセ―ジ「裏切られた」「許していない」「恨んでやる」が一掃された瞬間でした。
昔は、母の態度で訴えたこともありましたが、いつも答えは「そんなことない」「そんなことやってない、言ってない」の平行線。いつしかそんなことを言う気持ちも薄らいでいました。
ですから、そのときの私にはそのような言葉は必要ではありませんでしたし、そんな言葉を母親から聞くことも予想もしていませんでした。
私にとっては、今までで初めて見るかもしれないショックを受けている父の側に少しだけでもいることが出来、小さくなったなぁと感じた母が父の世話もすることになったので母にも長生きしてほしいと声を直接かけたかったのです。そして、娘とお出かけしてみたいと常々いっていた母の願いをこの一時帰国で叶えてあげられたら、そんな心の底から湧いた気持ちからもどってきたのです。
更に、この時の3人での夕食で会話をしながら、両親を見て
「あーようやく両親も夫婦らしくなったなぁ」と初めて感じ、ホッとした感覚もあり、両親にもそんな思いを伝えるとお互い笑っていました。
過去世では夫婦でなく、愛人関係だった両親。若侍(今世の父)の謀反の計画を知った愛人(今世の母)は、戦国の世、この若侍にも知られたら大変なことになるかもしれない状況で、領主である私のところで忠告へ来る・・・。
過去世で、その忠告後、この二人の間に何があったかはわかりません。でも、今世、ものすごい夫婦のバトルでしたので、過去世でも穏やかではなかったのかもしれません・・・。
どうもこの2人はお互いに負のカルマを残し、今世そのカルマを互いに消化するべく夫婦になっている気がしてなりませんでした。そうなると、逆に愛人問題・・というのも単なる今世だけの問題ともいえない気がしました。
セラピーの仕事をするようになってから、両親がこの生きている間に気づいてお互いのカルマを消化して、互いを許し次のステージに進んでほしい・・・とずっと心の中で祈っていました。
私もこうやって親子問題は、過去世から引き継いだものもありましたからそれを解決したい思いもありましたが、もう一つ、子供が生まれたときにこの息子の代以降にもこのようなカルマのようなものは引き継がせたくない、私の代で気づいて終わらせることができるものは終わらせたいと思っていました。
気づかなければ、どんどん気づかせようと事は大きく大変になってくるだけ・・・、そんなことをもう両親にも来世にまで引き継いでほしくない・・・。今世で終えてほしい・・・。
なので、この夫婦らしくなった両親をみて、生きている間にここまでなってくれたと心の底から安堵の気持ちでした。
そして、昨今、多少の口喧嘩はしながらもこの両親がいい具合にお互いの持った個性や才能を出し合って協力しながら日々の生活を送っている姿をつい昨年一時帰国した際も目にしながら、きっと両親の夫婦になった目的の一つはこれなのかも・・・と感じました。
そしてこれならもう大丈夫だと。
この2014年の突然決めた一時帰国でしたが、この時
自分の気持ちに正直になることの大切さ、頭ではなく心を使って自分を信じて物事を進めることがいかに大事か、このことで学んだきがします。
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一つこれにおまけですが、1月12日は母の誕生日。
一時帰国した直後、父は結婚して50年目にして初めて母にお手紙付の誕生日カードを送ったのです!。
家族にこんな日がやってくるとは、夢にも思っていませんでした。
もう、言葉になりません。妹にも伝えると私と二人で目もウルウル・・・。
母も、初めての出来事で感激したようです。
ほんとうによかった。
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Happy Birthday
新年明けましておめでとうございます。
1月12日 72歳のお誕生日おめでとうございます。
結婚して50年、初めての手紙かもしれません。いろいろありましたがこれまでよく
付き合ってくれました。今回の手術もあなたがいなければできませんでした。
それに気付いたのが退院後でした。身の回りのことも自分でできなくなることも
予想していませんでした。そういう私によく50年も付き合ってくれました。
感謝申し上げます。
これからがもっと大変になるかもしれません。老老介護が待っているからです。
どちらが倒れても大変です。
しかし、女性の平均寿命は87歳ですからあなたが先に倒れることはないと思っていますが、これだけは神様しか知りません。これからも元気で一緒に暮らしたいものです。
平成27年も良い年になりますよう、また早く元の生活に戻れることをお祈りしつつ、
新年のお喜びと誕生日のお祝いの言葉といたします。💌💌💌
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