Miwakoのセラピールームはロンドンを拠点とし、前世過去世療法、高速感情解放稲垣メソード(エモーションフリー)、直傳霊気などのセッション&講座をやっています。また、お仕事疲れのお父様、お子さまの勉強や心のサポート、子育て・人間関係、感情や環境に振り回され苦しんだり悩む女性やお母様方の心身を楽にし気づきをもって前に一歩進めるお手伝いもしています。
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現在1話から3話、負の世代間連鎖を曾祖父母からの家系をさかのぼってみて感じたことを書いています。
前のブログで曾祖母と祖母の関係を書きました。継母との関係で辛い幼少期を過ごした祖母ですが、外地にいる間に結婚し子供を2人もうけたところで終戦を迎えます。
終戦を知ったとき身に危険を感じ一刻も早く住んでいたところを離れたそうです。急に背を向ける隣人、助けてくれる隣人、さまざまな人間模様を見たようです。日本へ戻る途中、ソ連の兵士へ見つからないようにと生まれて何か月もたっていない私の母親を抱き、兵士の気配がすると草むらに小さく見つからないようにかがんで息をひそめ通り過ぎるまで隠れながら逃げたそうです。そして赤ちゃんである母親にむかって祖母は「○○ちゃん、今泣かないで、今泣いたら見つかってしまう、殺されてしまう、いい子だから・・・」何度も祈るように小さな声でつぶやいたといいます。まだ生まれて半年ほどの赤ちゃんである母が、そんなときはピタリと泣き止み、一度もなくことがなかったといいます。
ですから祖母も赤ちゃんなのにきっとわかっているんだろうとびっくりしたといいます。
祖父母は赤ちゃんである私の母を抱き、もう一人の娘の手を引いて逃げるのですが、混乱と人ごみの中一度は娘ともはぐれたような状態になり祖母ももう娘と会えないかもと覚悟を決めたそうです。しかし親切な人にも助けられながらその後娘とも偶然再会し一緒に帰国できたそうです。
その時に母を負ぶっていたおんぶ紐は祖父母が逃げる間にけがをしたりして血がたくさんついていたらしく、私の父が母の実家に行ったときに戦争の話とともに一緒に見せてもらったといいます。祖父は兄弟にも戦地で亡くなった人がいるし、戦争の悲惨さを身に染みて感じていてそれを伝えるためにおんぶ紐を残していたそうです。それも祖父が退職を目の前に病気で亡くなった時に棺に入れて一緒に荼毘にふしたといいます。
私も終戦直後の話をよく聞いていましたが、今になってこの場面を振り返ると、これも母に何らかの影響を及ぼしてはいないだろうかと思ってしまいます。
終戦直後に逃げる途中、赤ちゃんである母が一度も泣かなかったのよと祖母はちょっぴり誇らしげに私に語り母もそんな時は満足げな笑顔でした。しかし、今考えると、赤ちゃんでも側にいる母親の感情など感じ取りますし、親が子供に自分を投影することもあります。
母は赤ちゃんの頃から、自分の感情を抑圧することをすでに学んでいたのかもしれません。
更に、日本へ戻ってくるまでの祖父母の生きるか死ぬかの恐怖心や緊迫感、切迫感、周りの人の同じような思いなども生後半年ほどのしかも霊感の強い母は祖母の腕の中で肌で感じ取っていたのではないかと思います。
また母が子供の頃に下に生まれた弟が赤ちゃんの時に戦後に病気で亡くなった話を母から聞いたことがあります。他の兄弟姉妹は怖いと触ることもできなかったのですが、母はその逆でその亡骸を母の小さい腕の中に抱いたのを覚えているということでした。
母はその弟を可愛がっていたようです。私が大人になってからも何度かその弟の夢を見たと聞きました。ある時は退職前のまだ働き盛りで亡くなったこれも母の大好きだった父親と一緒に母の夢枕に立ったと。そして心配しないで、と、弟は夢の中では大人になりりっぱな背広を着て成長している姿を見せてくれたと。
母は父親の夢はよく見るといっていました。
母は「死」を必要以上に怖がっているところがあり、このような生まれたときからの生存に関わる環境や体験、また祖母が孫である私に語っていたように、子育て中にも祖母が毎回草むらに隠れていた時の恐怖や戦争の悲惨さを幼い母に何度も語っていたとすれば・・・、それに祖母が継母との間で起こった辛い体験からの心の傷もかなり大きかったなかで癒されないまま子育てで何らかの影響があったとすれば・・・いろいろ思いがめぐります。
「生存の不安や恐怖」
「切り離される不安や恐怖」
「見捨てられる不安や恐怖」
「置いていかれる不安や恐怖」・・・。
話を先に進めますが、
他にも気になることがありました。
祖母は継母のことを冷たく厳しい人と言っていましたが、帰国後の祖父母の教育も子育てもかなり厳しかったようです。もちろんその時代的背景もあるので祖父母だけではないと思いますが、当時の学校教育も厳しかったと思います。
祖父は昔、教育関係の人で自分自身にも厳しい人であったらしく、戦中は祖父は兄弟身内の戦死や仲間の死、原爆や空襲で多くの人が一度に亡くなるさまを見てきて、戦争が終わってほっとしても一度戦争を体験すると人生また同じような戦争が起こるかもしれないと常にその当時は感じていて、他の周りの人も同じだったということです。明日がどうなるかわからないと思って生きてきたし、5年10年先は考えられなかったと。
祖父母は戦後、明日は我が身、親である祖父母が万が一先に死んでも子供たちが一人で生きていけるように、女きょうだいが多い母たち女性も自立して強くそして世の中の人のために役に立つ人になるようにと強く願ったようです。
そんな祖父は母たち子供にも自分と同じように精神的にも強く自分を律する厳しさをもって、終戦後の日本も復活に向け周りに追い付け追い越せと頑張る中、我が子にも同じように頑張れ頑張れと集中力をもって勉強して知識教養を持つことを期待してそれを求めたようです。祖父母は教育熱心なところもあったようです。
時代も時代なので贅沢も間違っているし祖父母自身も楽しんではいけないという気持ちもあったようで、これを子供にも同じように遊びは贅沢と感じさせたようでした。
昔は生きのびることや身の安全が大切な時代に今の時代のように子供を褒めるとか、スキンシップを持つとかそういった心の余裕のある時代ではないし、子供であっても遊びは贅沢で、弱音を吐いたりくよくよするのはダメなんだよ見たいな形で、問題があった時や辛い時にもどうやって自分で解決したらいいのか、どうして解決できないのか考えて自分で解決しなければいけないと幼いうちから突き放してのしつけだったようです。
時代は全く違うのに、母は子育てで子供に同じようなことをしてしまっていました。
本来じっと座ってというよりは活発でおてんばな母が小学校低学年の頃の話があります。だまって家の近くに鉄棒遊びに行って、そこで落ちて腕を骨折したそうです。かなり痛かったはずなのに遊びに行ったことがばれるのが嫌で痛いのを我慢して泣かずに親にも言わず家にもどり家族と食事をしていたといいます。もぞもぞごそごそ様子が変だと親が気づいて骨折がわかったというようなこともきいていました。
祖父母の信じた集中力と継続力をもって勉強も頑張り、早い段階から頼らず一人で何でも問題解決していくことが自立への道だと信じていた厳しく突き放した子育て教育は、それがその時代の祖父母ができる愛情だったかもしれないのですが、親の思いとは裏腹に子供は違った受け取り方をすることもあります。
一人で何でもやりなさいと言われ続け生活するうちに、子供が本当に助けが必要な時にも声を出せなくなります。自分でどう解決すればいいか教わることもなくわからないからできないことも出てくることに子供は罪悪感も持ってくるし、間違った頑張り方をしてしまいます。助けてもらいかたも助けてもらっていいのかもわかりません。母親が大人になる過程でそこに疑問を持っていなければ、結婚して子育てのなかでも当然自分の子供にも同じようなことをしてしまっています。そして親自身も助けが必要な時に周囲に声をあげることもできず一人で抱え込み、そのストレスが子供に向かってしまっていたのです。
また話は戻りますが、
親が愛情だと思って厳しくしつけ教育をしたとしても、子供の個性を無視したものは時に子供自身を苦しませます。母が物事への集中が苦手なこと、そのほかの言動をみると祖父母が求めた望んだ姿とはかけ離れていたのかもしれないと思うのです。
それがかえって母の持ち味や個性を自分はダメだと思い込み、コンプレックスを増すことになり、祖父母が一生懸命教育熱心に厳しいしつけや教育をやるほど、母は声をあげることも出来ずに自分の価値を低め劣等感を無意識にもったのかもしれません。
どうしてかわかりませんが祖母が大嫌いだったというのに曾祖母(継母)と同じ名前を娘である母に音で引き継がせ同じ名前にし、兄弟姉妹の中でも一番祖母にキャラクターが似ていると言われている母、さまざまな要因があったとは思うのですが、子供ながらに見てきた母の言動はやはりボーダーラインや毒親という言葉もありますが、知れば知るほどそれに近いものはあったように感じます。
ただ、これが両親でダブルできたことに親自身がまるで子供は視界にいないような親のペースで夫婦げんかもお互い激しく血を見る尋常ではない環境も結構それに輪をかけ困りましたが・・・。
特に家庭の中での母親の影響は大きく、その影響が見事に表面化したのが私には攻撃や孤立化で、妹には憧れ、依存という形での母娘問題でした。
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