Miwakoのセラピールームはロンドンを拠点とし、子育ての応援、お子さまから年配の方まで様々な年代のかたのお悩みを聞きながら、ホリスティックな考えや様々な視点、セッションを通して心身共に楽に生き易く自分らしく人生を歩んでいけるように、前に一歩進めるお手伝いをしています。前世過去世・催眠退行療法、高速感情解放、直傳霊気、そのほかのヒーリング、自分軸づくり、リラクゼーション等などのセッション&講座もやっています。
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子供の頃嫌だったこと。両親の喧嘩、夫婦喧嘩です。
とっても激しく、血を見る喧嘩です。
愛人と本妻の修羅場も見ました。
ある夜目を覚ますと、父も母もいない。これもまだ7.8歳のころ。幼い弟と2人。
父は愛人のところ?その留守の間に母は妹を連れて家出。
そんな喧嘩や夫婦関係を7歳ごろから見ているとおかしくなります。
感覚がマヒしてきます。
小学校の高学年になると、子供ながらに自分の異変に文章を書きながら気づきました。
そして、あー心が固まっている・・と。
そんな私が本音で話したり文章を書こうとし始めたのは大学でのある授業や、大学時代のサークルで出会った信頼できる上司や先輩たちのお陰です。
大学進学のため親元を離れたことで、徐々に最初の小さな小さな一歩の機会が出始めました。
できるならまずは物理的にでも距離を置くことができるのなら離れるのもいいです。自分の時間とペースが少しずつできてきます。
ただ、こうやって離れても、イライラした状態での母からの電話、それによって帰省・・・滞在はほんの数日・・・という感じではありました。それでもあのころは1週間も実家に滞在することは心身的にできませんでした。
また、話は戻りますが、
子供ながらに両親の喧嘩した日を自分のカレンダーに印をつけるようになりました。何歳ごろから始めたのは覚えていませんが、印をつけて喧嘩のパターンを見つけたときのなんというのか、ちょっと目の前に光が見えたようなちょっと目の前が少し明るくなった感じは覚えています。
面白いことに3日に1度大きな喧嘩をしていることを発見しました(^.^)。
そういうパターンがわかると、ちょっと安心です。
どうやって自分なりにその生活の中で自分の心を持っていけばいいかわかるからです。
そして子供ながらに、私は雲行きが怪しくなる両親の様子を見ながら明日3日目に大きな喧嘩が起こってしまえば、必ずそのあとはとても静かな1日を送ることができるのがわかっていたので、これを乗り越えれば1日は何も心配せずに寝られるし家で過ごせる・・・そんな思いで生活するようになりました。
つい最近になって、いつのものかわかりませんが「ちゃぶ台返し」というゲームがあるのを知りました。こんなゲームもあるのかと笑ってしまいましたが、実際のちゃぶ台返しの光景を7歳の時に見ました。
畳に座って丸いテーブルで食事、夕食時、両親の喧嘩で父親がちゃぶ台をひっくり返しました・・・。
食事中の喧嘩で、子供ながらにまた激しく喧嘩になると察して、お茶碗と箸をもってちゃぶ台から少し離れたところに座ってご飯を食べていたのは覚えています。
食べ物、汁物、すべて宙に浮いて、最後は畳に散らばります・・・。
でも、そのあとどうしたのか、きっと片づけたと思うのですが、記憶にありません( ;’∀’)
喧嘩は壮絶で、
外に出ていこうとする父親を母親は引き留めようと、外まで追いかける。そして足にしがみついて離さない・・・そして母親の口撃もすごく、叫びながらまるで狂った雄たけびの様・・・とうぜん父親はそれを引きずってでも向こうへ歩いていくわけです。
下は砂利道。
母のすねはどうなるかわかります。
砂利道を父の足を手を放さずに叫びながら引きずられていくのですから、血だらけです。
子供の頃、その母の足のすねに広がった鮮血は今でも鮮明に思い出されます。
でも、今はこうやって昔のことを思い出しても心がゆらぐことはありません。
自分でも変わったなぁと思います。
逆に、こんな親の姿を「なにやってんだろうね」「ばかだな」と、冷静に思ってしまうこともできるようになりました。
そんなあとは、いつも隣に住む地下足袋が印象に残っている左官のおじちゃん夫婦に薬を塗ってもらっていました・・・。
お隣のおじちゃんたちは優しかった。
そんな隣人がいるだけでも、子供はほっとします。
次に引っ越したところでは、
両親の喧嘩の激しさはこれにとどまることもなく、車で出かけようとする父親を母親が止めようと車庫のゲートをしめて自分の身体で抑えて閉めて体当たり・・・父親は車のアクセルを大全開・・・一歩間違えば死亡事故にもなりかねない状態。
もうこうなったら子供は近くにはいけません。いつも私は両親の喧嘩の間に入る役だったけれど、この時は外側から声をかけるしかありませんでした。
隣近所も窓から様子をそっと見ているだけです。
こんな喧嘩を頻繁にやっていても、死亡事故にもつながることなく離婚せずに今でも多少のぶつかりはあってもそれでも互いの個性をうまく活かして協力しながら生活している現在の両親を見るたびに、両親も出会って結婚し子供も作ってここまで夫婦として生かされてきたのには意味があるんだろうと思います。
でも、
夫婦喧嘩って怖いです、いったん互いに喧嘩のスイッチが入ると人間それに固執して危険の判断ができなくなるんですよね。
私が結婚して妊娠・出産したからあとでその両親の喧嘩を振り返ってゾッと感じたこともあります。
父親と激しいつかみ合いのバトルをしているとき、母親は妹を妊娠中だったときもありました。妊娠中、私はお腹をちょっとぶつけるだけでも気を付けたのに、こんなにお腹の子供のことも考えずに激しい喧嘩を続けられる母親も、また父親も・・・何だろうと感じます。
弟が中学か高校か忘れましたが少し大きくなったころ、夫婦喧嘩の中で母をかばい父親と取っ組み合いになり私のすぐ近くで溝内あたりを足蹴りされるのを見ました。
弟はそれ以来現在大人になってもその体と心の痛みを持ち続けています。
数年前に、妹の肋骨部分が一部飛び出ているのを姉妹で気づきました。まさか・・お腹に入っているときの足蹴り・・・母の父への飛びつき・・・影響していないよね・・・と思ってしまいます。
喧嘩の時、子供はすぐそばで見ています。
でも、さっきも書いたように喧嘩のスイッチが互いに入ってしまうと子供のことなど眼中にはないのだと思います。
親ではなく、男と女です。
母は一度父親を引き留めるためにヒステリックになって、中学生前後になった私を女として父親に差し出そうとしたことがありました。「女ならここにいる・・・」と私を指さしたのです。こういう興奮状態の時のことは母親は全く覚えていないようです。
でも、そういうところはまともな父親ですから母親を怒っていました。
よく夜中や朝方に限らず、父が朝帰りした、帰りが夜中になったとき喧嘩が始まります。喧嘩が始まったときには母親がフライパンをもって子供が寝ている寝室近くでフライパンをカンカンと鳴らして子供たちを起こしにきました。
といっても唯一部屋にかぎがある弟は鍵をしめてしまい、私だけが起こされて、母はいつも夫婦の喧嘩に巻き込もうとしていました。
子供の唯一の一人の時間の睡眠までも夫婦喧嘩は奪っていました。
そんな親の姿を3日に1度子供に見せている状態で、どうして子供は親を信頼できるでしょうか?親から守ってもらえると思うでしょうか?親の言うことを心から聞けると思うでしょうか?
こんな環境から、子供はまだ幼くて逃げだす手段を知りません。どうしていいかもわかりません。逃げ出すことはできないのです。一人で生活することも出来ず、逃げ出す場所もわからず、この環境の中で生き抜いていく方法を自分で探していくのです。
次第に心はかたまり、感情も感覚もストップさせ、子供らしさを奪い・・・
夫婦喧嘩は子供にとってもいいことなんて一つもありません。
次は「5 こんな可愛い子供が欲しかった。」です。