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  • miwako

8 子供への過剰な期待の裏がわ

更新日:2019年12月10日


Miwakoのセラピールームはロンドンを拠点とし、子育ての応援、お子さまから年配の方まで様々な年代のかたのお悩みを聞きながら、ホリスティックな考えや様々な視点、セッションを通して心身共に楽に生き易く自分らしく人生を歩んでいけるように、前に一歩進めるお手伝いをしています。前世過去世・催眠退行療法、高速感情解放、直傳霊気、そのほかのヒーリング、自分軸づくり、リラクゼーション等などのセッション&講座もやっています。

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母はおしゃれに関心がとても強く、他にも歌ったりピアノを弾くことが好きです。

母の若いころからの特技でもある歌うことやピアノを弾くことなどは、母の個性を表現できる場として現在の生活で活力をもたらしてくれているものでもあります。

ただ、若いころはこんな母の素晴らしい特技も時代背景もあったかもしれませんが世の中では歓迎、必要とされることもあまり母親自身が感じられていなかったようです。嫁いでからも嫁として妻として気が利く気が利かない、家事ができるできない、・・・そういった母親のもっとも苦手とする分野での自分自身の葛藤部分がいろいろあったようでした。

私が小さいころの耳に入ってくる夫婦喧嘩の時、親戚の家に遊びに行ったときなどの子供の耳に入ってくる周囲の会話、言動からもわかりました。

母がピアノを購入したときも搬入を偶然親戚に見られて嫁ぎ先にチクりとそんなのは必要ないとくぎを刺された話も聞いたこともありました。

なかなか自分の価値観を認めてもらえず両親(祖父母)に厳しくしつけられた母の、家族の中にいながらの孤独感に加えて生きづらさも感じているような母のキャラクターから何かしら理解してもらえないわかってもらえない孤独な部分は人生を通して母の心の中に住み続け、知らない土地へ嫁いできての寂しい環境では母の孤立した気持ちはなおさら強かったのではと想像できます。

今、こうやって長い間家族の問題に向き合い現在の母親の姿をみながら、母の「分かってもらえない、理解してもらえない、置いていかないで、こっちを見て!・・・」そういった母の心の叫びがはっきりと見えてきて、ずっと母はその気持ちを手放せずにいたんだなと思います。

ですから、欲しかった女の子が生まれて、こうしたいああしたいと夢と希望をもって苦手な子育ても母なりに一生懸命やったんだろうなと今では思えるようになりました。

だた、一生懸命さが感情的に、ヒステリックにその時その時で子供を巻き添えにして傷つけ、振り回してきたことはやはり問題ですが・・・。

そんな母は自分の好きな興味のある分野を娘と共有したいと強く思っていたのかもしれません。

母は生まれた私に対して

この子に好きな服着せて、

この子にピアノ教えたり

この子に歌を教えたり

一緒にいろんなことやって・・・と。。

ですが・・・

まだ学校へ上がる前の年齢、オルガンを私に教えている場面が記憶に残っています。

私は母と違ってピアノやオルガンが苦手だったと思うのですが、できなければ指はつねられるし、「なんでこんなことができないの!!!」と母の怒った大きな声と共にギューッと手や指を鍵盤に押し付けられるし、ヒステリックで恐怖を感じる怒られ方だし・・・とっても嫌な記憶としてあります。

他のきょうだいでは、私と違い練習を逃げるのでひもで結んだり押し入れに閉じ込めたりという話も後に大人になってから聞いたこともありました。それに、ピアノを練習しないとご飯あげない・・・。

歌も、あなたは幼稚園に通い始めて音痴になったと、あなたは父親似だと、歌えば笑われバカにされるのでそれも封印。

母親の大切な価値観でもあった音楽関係を母が望んだように私は共有することなく、私は幼いころに早々ギブアップしました。

どうやってやめたのかは覚えていませんが、音楽関係は下のきょうだいが受け継いで今も音楽活動を継続しているので、もしかすると私から期待が方向転換されたのかもしれません。

勉強面でも、あなたはお姉ちゃんなのに下の子のように質問できないの?答えられないの?聞けないの?・・・どうして・・・と、とてもできるすぐ下のきょうだいと比較され、下のきょうだいには勉強がよくできたら成績順によっては好きなものやお金を渡していたということをつい最近になって知り驚きました。

それに「こんな可愛い子供が欲しかった」で書いたように母親の期待通りの容姿を持った妹が生まれたことで、これも期待が移ったことで容姿や音楽を馬鹿にされながら、そして父親の愛人問題などが表面化してくると、だんだん他のことまで一人ぽつんときょうだい・家族の中で浮いてくる、どうしてかわからないけれど生活の中でだんだん私のペースが他の4人の家族とは浮いてくるのを感じていました。

いつしか、家族の中でお姉ちゃんは一人違うよね・・・と言われるようになりました。

今振り返ると

母は物でも人でも好き嫌いがはっきりしているところがあります。

嫌いになるととことん嫌いです。

若いころは体力もあります。

ケンカも激しかったですが、感情をコントロールできず激しさもあり・・・。

どんどん

思い込みで自分の中でその世界が広がっていきました。

相手がそんなことやっても思ってもいないのに勝手に母親の思考の中でドラマが始まることもあり、それが私に向くと大変でした。

家族の中で母親の与える影響はとても強いので母親の状態や意向が見えないエネルギーで自然と家族の中で影響を与えていたなと今は思います。

期待は相手への要求、これまでの母親の言動を振り返ってみると思い込みも激しい分、母は生まれてきた我が子が母自身の望みをかなえてくれるだろう・・・と強く母親自身のための大きな期待をもったのだと思います。

期待が強ければ強いほど、その期待を相手がかなえてくれなかったら、期待に応えてくれなかったら、愛と憎悪は同じコインの裏表です。逆に期待から落胆、悲しみ、失望、怒り、そして憎悪にも似た感情が芽生え裏切られたと感じていきます。

そしてますますコントロールを強めていく結果に・・・。

こうやって書いていきながら、これって、もしかして世代間の負の連鎖で母も同じように祖父母から愛情という名の下でやられていたことではないのかしら?とふと思いました。

そう考えると、子供の頃に腑に落ちなかった母親の私に対するきつい言動の数々は納得できるのです。

夢や期待

どの親でも生まれた我が子を抱きながら、この子はどんな子になるのかしら?

こんな子に育ってほしいな、こうなってほしいなと夢や期待は持つと思います。

でも、

その子供への期待や夢を抱いての子育てが

親のコンプレックスからくるもの、

親の見栄から

親が果たせなかった叶えられなかった夢の実現のため、

親の極度な不安心配性から、

親の「見捨てられ感」「置いていかれる気持ち」から

親の他人との比較を極端にやってしまうものの見方から、

親自身が不満から自分を楽しむ、大切にすることなく心に余裕がなくなってしまっている

親自身が歩んできた人生の中での強い不満や不足感や欠乏感から

親が夫婦問題から自分の心の満たされない不十分さを子供へ求めてしまう

・・・etc.

など、親自身の中に強く取り残されている心の未解決な葛藤部分や親のエゴからくる信念や価値観などで親が自分の人生を子供の人生に投影しているとしたら・・・。

これは、子育てが親自身のためのものになってしまい子供を苦しめることになり、最後には親自身も苦しむことになります。それに本来の子供の姿は親の強力なフィルターによって見えにくくなってしまいます。

我が子を知らず知らずに窮地に追い込んだり、能力をつぶしてしまったり、子供の心を壊してしまったり、実は信頼関係も弱くなっていき親子関係でも後々大きな問題に発展していってしまうということもあります。

さらに、子供を親自身の一部、所有物のように考えている場合も多く、次第に子供が成長していくと好みや恰好、学校や習い事、友達からお付き合いする人や結婚相手、会社や個人的なことまで・・・境界線を無視してどんどん入ってきます。

・・・それはエスカレートしていきます・・・。

乳幼児のころは、親のやることをそのまま真似ていく仕草をみせ始めます。まるで親の思うとおりに反応してくれるようにみえます。ですからそれほど問題が目に見えてこないかもしれません。

しかし、

2歳ごろになると乳児の頃の「快・不快・興奮」から、「快・喜び・愛情・興奮・恐れ・怒り・不満」など様々な感情が発達してきます。その幅がどんどん年齢と共に広がっていき自我も独立心も芽生え自己主張も始まり子供も成長し始めます。

親離れ・自立に向かっての大切な成長プロセスです。

そんな時、親が思い描いていたような考えていたようなことばかりではなく、イヤイヤ期には突入するし親と考え方や性格、好み関心などがちがったりすることも出てきます。

親はできたことがもしかすると自分の子供は苦手かもしれないし、子供にやらせたいと思っていても子供はやらないかもしれません。

また、親が苦労したり苦手としている部分をもしかすると目の前にいる子供はすんなりと出来たり表現したりと、まるでスムーズにみえることもあるかもしれません。

我が子の様々な成長の変化のなかで親とは違った部分も目にしていくわけです。

親側も我慢や忍耐を学ぶこともあります。

見守りが必要な時も出てきます。

時には、子供の成長の段階として子供の自立や個性・考え・行動の違いを親は受け入れなければいけないこともあります。

親の私たちは最初はだれでも子育て初心者です。わからないことも多いし、完璧などないし、悩みもあり、子育ての中で葛藤があったり考えさせられたりしながら親としても人間としても成長させてもらっている部分も多いです。

共に子供と学んでいっている感じです。

子育てを通して親も同時に育ててもらっているわけです。

ですが、

子供が自立や親離れに向かっていくことを、また、親と違った感性や感覚、個性、意見などを発現していくこと、親が思い描いた成長と違った面を見せる子供に対して成長の過程として喜び受け入れられずに、「親に対する批判、攻撃、反感・・・」と受け止めてしまい、結果子供に敵対心を持ってしまい、しつけという名のもとに理不尽なん厳しさの子育てをやってしまう・・・ことになってしまうのです。

子供の深い考えからではなくただ無邪気にふるまう様子を、わざと親を怒らせようとしている、親を馬鹿にしようとしている・・・などと解釈してしまうときも同様です。

また子供が離れていく喪失感や悲しみを強く感じることで逆に親に依存させてしまうようにさせて自立や親離れの芽を摘んでしまうこともあります。

子供の成長を見ながら親である私たち自身親側の子供へ対する言動を注意深く観察してみてください。

目の前にいる自分と価値観、感覚の違った我が子を見て、

強い悲しみ、

寂しさ

喪失感、

裏切られた感

置いていかれるような不安感

怒り

嫉妬感

イライラ、

モヤモヤ感

何だかわからない憎しみ

コントロール(こうしたい)の気持ちが強くなる

この子はわがまますぎると常に思ってしまう

・・・

こんな感情の方が強く子育てにあらわれてしまうであれば、今一度親側の自分の内面を振り返ってみる必要があります。

子供に怒りをぶつける前に、

いったいこの我が子に向ける感情の裏側には何が隠れているのか、

自分の子供の頃に何か取り残されてしまた消化できていない感情があるのではないか?

我が子に対して怒りを感じている部分が、子供の頃の自分を投影していないか?

子供をこれ以上傷つけることがないように、子供の心を平安にしてその子らしさが発揮できるように成長できるように、そしてこれ以上我が子も自分自身も傷つけないと心に決めて、前に一歩進んでください。

次のブログは・・・

このブログでも書いたように子供の個性や親との違いを認めることができずに、自分が思い描いたような我が子にはならない、この子は母親の私とは違う・・・とそんな悲しみ喪失感が、期待が大きかったゆえに「裏切られた」となり矛先が子供である私に向かったのだろうと心を癒しを続ける中でわかってきました。

そんな私自身の心の癒しのセッションを始めたころに、私と母との間に過去世からの問題がわかったことがありました。

キーワードは「裏切られた」。

さらに驚いあことは、このキーワードは母親とのことだけでなく、父親も含めた私たち親子3人がそれぞれの状況で過去世から引き継いできたキーワードだともわかりました。

ですから、きっと互いに家族、親子、夫婦になることで今世気づいてこのカルマを刈り取る作業が必要だったのだろうと思います。

そんなちょっぴり不思議な話をいくつか続けてブログで書きます。

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